野良猫じゃない

日本にかえってきた。いま、猫のもらい手を探している。

オランダで私が飼っていた猫は交通事故で亡くしてしまったので私の猫ではなく、取手駅から私のスタジオへ通う途中に猫が2匹いる。


何人かの通行人の話をあわせると、そこは猫屋敷&ゴミ屋敷だったという敷地で、敷地の主は猫を可愛がっていたようだがその人が今年始めに急死したそうだ。34匹という猫が突然、家から家財道具と一緒に閉め出された。猫が出入りしていたという掃き出し窓は閉ざされ、寒い冬の中での出来事で、通りに面した家でもあったためそのほとんどが交通事故と飢えで死んだそうだ。

それでも何匹かが生き残り、この夏また取手に通い始めた私が通りがかったときこの2匹がいた。どこかの動物愛護団体が去勢手術はしてやったそうだ。

私はつれて帰ってやりたいと思ったが、帰国したばかりでつれて帰るための家がなかった。


敷地の管理人が、野良猫扱いして敷地から追い出そうとしているのを、「ここの飼い猫だった猫ですから、敷地の処分が決まるまで、もう少しここで世話しながらもらい手を探させてもらえませんか?」と頼んだり、暗がりで猫に向かって 「君たちは野良猫じゃない。飼い主が死んだだけで、飼い猫だったし、ちゃんと次の良い飼い主が見つかる。」と話しかけつつえさをやったりしている。


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snake gourd, 2017

カラスウリ、2017

たぶん友情について

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ニッケル・ファン・ダウフェンボーデン (Nickel van Duijvenboden)ドラムのパフォーマンスをライクスアカデミーオープン2015 (Rijksakademie Open 2015)で見たあとで私は廊下で友達と話していた。話していた友達は皆アーティストだが、そのときはアルバイトでやっている美術学校の先生の仕事に関する立ち話をしていた。

わたしは聞き耳を立て、手にオープンスタジオのカタログを丸めて握りしめている。彼らが何を話しているのか一所懸命聞いて、何か言おうとしているが、私はとにかくアーティストというものが好きで、彼らの話す言葉にとても関心があるのだ。
アーティストの言葉は不確かなものと考えられているかもしれないし、勘違いもある。でも言葉は言葉だ。アーティストはアーティストに、前後の関係などなくピンポイントで言葉を渡し、受け取る。受け取った言葉については、そのあと長い時間考えることになる。少なくとも私はそうだ。

そのときの言葉はなにかユニバーサルなものではなくとても具体的、事象的なものだ。だからその言葉じたいは「あの時、発された言葉」だ。でもその言葉についてよく考えることで抽象的な思考がやってくる。そして得た「答え」は新しいあなただ。そこにはもう勘違いはない。受け取ったものが沈黙であっても同じことができるだろう。

その時のことは動物園の飼育員の写真の中に描いている。なぜなのかは今は分からなくてもそれが答えだ。私のドローイングだ。


追記ー英語バージョンでは「友人たちと話していた場所は、旧オランダ陸軍の軍馬の厩舎であった建物だ。(現在はライクスのスタジオとして使われている。)そのとくべつなロケーションもアイデアとなっているだろう」と加えた。

車とドローイング


以前書いた、アールスマンのグラフを使った作品(表やグラフという硬そうな素材をユーモラスに使う、と書いた)のひとつ、"車とドローイング"を日本語に書き出してみる。

"車とドローイング


 中庭でツバメが鳴くのを聞いた。今年ほど大きな声でないているのははじめて聞く。以前よりもたくさんいるようだ。私が引っ越しをしたからそう思うのだろうか?でも私は去年も既にここに住んでいたのだ。ツバメの暮らしがうまくいっているということだろうか?それともただ私が注意を払っていなかっただけのことだろうか。それは愚かだ、注意を払わないとあとで後悔する。ものごとは、突如として消え去ることだってあるのだ。

 だから私は周りによく注意を払わなければいけない。皆、そうしなければならないのだ。

 頭のないニワトリのようにあっちからこっちへとただ走り回るのではなく、あなたのまわりをよく見回すのだ。いますぐ、ここで。


 あなたがまだ持っているおもちゃの動物をベッドに置き、写真を撮る。その写真を大きなノートに貼り、おもちゃの動物の名前も書いておく。毎日、何時間テレビを見たか数えておき、それもノートに書いておく。あなたの気に入っている服を床に並べ、その写真を撮る。それもノートに貼る。

 あなたが本をよむたびに、その本の題名とあらすじを書き出す。何行か書いただけでは役に立たないが、10年も続ければあなたの頭の中身は全て分かる。

 あなたがあなたの自転車と一緒に写っている写真を撮る。何年かして次の自転車にのるときはその写真も撮っておく。それは美しい連作になる。

 数え、計り、写真を撮っておくことはあなたを飽きさせることはないだろう。


 私は一日中車が走っている通りに住んでいる。何台走っているのか正確には知らないが、とにかくたくさんだ。それを嫌だとは思わない。通りにたくさん車が走っているのは循環に良い。ちょうど、じゅうぶん走ることがあなたの体の循環であるように。汚ならしい車は交通量の多い通りでは見かけない。だらしのない車には居心地が悪いのだ。汚らしい車は暗い裏通りを好んで走る。そういうのは私は好きではない。

 私が朝に目を開けて、家の表側からたくさんの車のやわらかなざわめきが聞こえてくる、同じく、裏側からはツバメの鳴き声が聞こえてくる。鳴きながら滑空するスポーツ・カイトは、空中で、巣を作るための屋根瓦の隙間を探しているのだ。裏側には自然、表側には文化。私はその中間に挟まれている。私はツバメがとても好きだ、彼らは空中でとても敏捷で、走っている車の下を飛ぶことだってできる。そして私は車も好きだ。

 車は文化ではないという人々もいる。そういう輩は文化は美術館にあるものの中にあると考える。どうして文化が通りの上にあってはいけないのだ?車は、細かなチームワーク、優雅な形と高い技術を持つものではないのか?それを描くことだってできる。


 それには私はまず数えなくてはならない。それが私が今日やったことだ。私は自分の前に1枚の紙を置いて11時から1230分の間、家のベランダに座った。

 その紙の上に私はマス目を書いた。各マス目の上にはそれぞれ色の名前を書いておく。ライト・イエロー、ディープ・イエロー、ダーク・レッド、ライト・グレー、ニュートラル・グレー、など。ある色のついた車が通れば私はその色の名前の書かれたマス目に横線を引いていくのだ。まあなんという仕事だったことか、目の前を横切る車の色を数えていくのはひどくだるい仕事だった。全部で1420台。紫色の車は10台。金色を帯びたブロンズ色の車は12台で黄色は14台。などなど。

一番多かった車の色は黒で、279台。その数字でドローイングを作る。ここに2つできた。


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ドローイング1
7月22日に私の家のベランダの前を通りすぎた車の色の円グラフ
ドローイング2
7月22日に私の家のベランダの前を通りすぎた車の色の棒グラフ "


X-Bankの記事

sema_03.jpg今週のアールスマン・コレクティも書こうと思っていたがやめて、コラムに友達の作品の写真が載っていたのでそれを読んでみる。私も好きな作品だからだ。
靴の中でなにか化学反応をさせて、足(発泡スチロールのようなもの)が膨らみながらにょきにょき延びてくるというビデオワークだ。
コラムは今週土曜にアムステルダムにオープンした「X- Bank」というギャラリー兼ショップ、の紹介である。なんでも180人ものオランダ人デザイナー/クリエイター/アーティストの作品を集めて売っているらしい。

"

 理由はご想像にお任せするが、私は最近になって片付けの教祖の近藤麻理恵の本をもらった。彼女によると、私は、私を喜ばせるもの以外は全てを捨てなくてはいけないということだった。それで私はすぐに彼女の本をゴミ箱に捨てた。簡単なことだ。

 私がエクス・バンク(X-Bank)に足を踏み入れた時、直ちにこう思った。「近藤麻理恵はここで脳卒中を起こさないだろうか?」 エクス・バンクはアムステルダムの中心に位置する、新しいW・ホテル(W Hotel)のところにある、店とアート・ギャラリーが一緒になった場所である。そこは土曜日からオープンするのだが、ごった返すに決まっているので水曜日にプレビューが設けられた。

 そんなにすぐに私はものごとに打ちのめされたりはしないが、ここでは私はめまいがした。ちょっと見ただけでも、バス・コスタース(Bas Kosters)の、ペニスが全面にプリントされたシルクのスカーフに、「アニセッテ」とラベルに書かれたリキュールのボトル、アノウク・クラウトホフ(Anouk Kruithof)の美しい写真、アップル・シロップの缶、画集、ジーンズ、つまりなんでもあるのだ。

 この場所を運営しているニコレッテ・メイヤー(Nicolette Meijer)は、めまいに悩まされていないようだ。彼女は私に概要として提供しなくてはいけない数字の話をし、私はそれをメモに書き付けた。180人のオランダ人デザイナー、クリエイターがここ700㎡のスペースで作品を見せているということだった。夜間には窓にビデオワークがプロジェクションされ、それは88メートルの長さになる。アート・ギャラリーは300㎡。ああ、そうそう。ここには芸術家のための「レジデンシー」もできるそうで、それは80㎡。この店にも秩序や方針というものがあり、それは「商品は色ごとに置かれる」のだそうだ。あのペニス・スカーフとアニセット・リキュールは両方ともピンク色だった。そうか。

 私はギャラリー・スペースを調査するためにらせん階段をおりた。私の目を少し休めてくれる何かを期待したが、それもかなわなかった。流行の服をまとった子ども達が床にモップがけをするように転がっている。それらをジグザクによけて私はハイス・ストルク(Gijs Stork)によるキュレーションの展示「ポトラック(Potluck)」までたどり着いた。「ポトラック」という語について説明しておくと、マリファナのまわし吸いのことではなく、夕食のために皆が一品ずつ持ち寄ることらしい。それもまた旨いが。

 ここに集められたアーティストは、アムステルダムのギャラリーと関わりのあるアーティストたち、ナサン・アズデリアン(Nathan Azhderian)、セマ・ベキロヴィック(Sema Bekirovic)、ナタニエル・メロース(Nathaniel Mellors)、ナヴィッド・ヌール(Navid Nuur)、ミケ・プラット(Mike Pratt)にアンネ・デ・フリース(Anne de Vries)である。

 簡単ではなかったが、それはモップ隊がつま先に転がっていたからでもあるが、以前は気づかなかった関係性を見ることができた。それを確かに感じたのは不条理なビデオアートで知られるメロースの作品をみたときと、錬金術の美しさで知られるヌールの作品をみた時だ!

 それから私はしばらくの間、ベキロヴィックの素晴らしくも奇妙なビデオ作品を眺めた。1足の靴から何らかの化学反応で2本の足が伸びてきているようだ。この作品も売っていて、あなたを幸せにするかもしれないのだ。そしてあなたは近藤麻理恵からの恵みを受けるのだ。私からのも。

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アメリカ大統領候補バーニー・サンダースと妻ジェーンの昼食風景、をオランダの新聞フォルクスクラント(Volkskrant)が見開きで報じたのではなく、これもアールスマン・コレクティからの写真だ。アールスマン・コレクティとは何か?前回の投稿に説明がある。
格差是正を掲げる大統領候補の飾らない食事風景、良い雰囲気の写真だと思い読んでみたら、アールスマンのコメントはテーブル・マナーについての思い出、だった。
彼はそもそも写真の価値は美的なクオリティよりもその背後にあるストーリーにあると考える。それを「見る」のだ。
以下は私が書き出したアールスマンのコメントの日本語訳だ。
 

"Corrigerende Tap(正すために軽く叩く)


大統領候補者バーニー・サンダースとその妻ジャンスが、キース・カフェで昼食をとっている。ミネソタ州セント・ポール、2016212日、写真ジム・ヤング/ロイター


私の父がテーブルの上座につき、そのすぐ右に私は座る。私が粗相をするたびすぐにテーブルの下に私の左腕が戻される。バーニーがやっているように、私は左腕を皿の横に置くからだ。あれは本当に食べやすい。あなたはただ頭を下げて食事を腹一杯になるまで口の中へ運べば良いのだから。


皿は美味しくすぐに空になる。でも私は今までそのようにしてこなかった。私は一口でも食べる前から左腕上部をぴしゃりと叩かれていたのだ。それは本当に殴るのではなく、アンダーアンカー、調整だ。それは助けになった。私は今でも左腕をどこか適当でないところに置けば、腕が即座にちくりと痛みだすのだ。


私の家がテーブル・マナーにひどく熱中していたのたかと言えばそうではない。私が皿をなめた時、それは明らかに料理がおいしかったということになるので母は小言を言う代わりにくすくす笑い、父は躾のために少し小突くだけだった。あなたの息子が皿をなめた時あなたはどこを叩くべきか?腕を叩くのはやめよう、歯が折れてしまうかもしれない。私の両親は、ガラスの皿を使うことでその解決策とした。しかしそのことで、私が皆に舌を見られるのを恥ずかしいと思ったか?逆である。ガラス越しに舌でなめてみせるのは余計に面白い。姉たちもとても嫌がりながら母と一緒に笑っていた。


そして私は今でもバーニー・サンダースがやっているような皿の上に覆いかぶさるマナーはできると思わない。

私はテーブル・マナーの専門家ではない。これは、自由なテーブル・マナーを持つものへの私の嫉妬だろうか?そうだったとしても、私はアメリカ大統領候補ではないが、バーニー・サンダースはそうなのだ。


この男が後にイギリス女王と食事をすることになったとき、どのようにしなければならないか?彼はコートを着たままだ。これはかなり非社交的だ。風邪を引いているからか、そうではないだろう。一般的に言って女性は男性より寒がりなことが多いが、サンダース夫人はジャケットを脱いでいる。コート掛けに掛けているのではなくソファで彼女の後ろでつぶされている。「あなたのより良きことを考えなさい。」何度私は両親にそう言われたことだろう。サンダース夫人は言わない。バーニーは良い連れ添いを持っている。彼女も手を皿の横に置いている。でも頭を皿に覆い被せていないのは、チリスープ、キース・カフェの名物料理、のせいだ。それは彼女の夫よりは早くなく口の中に運ばれるだろう。

でも彼にまだ追いつけるだろう。彼はこれからクラッカーを2つ食べるが、彼女は1つだから。"


どうだろうか。この記事だけではなく、彼の少年時代を語るときの語り口はいつも印象的だ。

成長に伴って必ずおこる失望を、きちんと見つめることによって語られるのは「今を正しく見つめること」だ。その、失望をきちんとみる姿はその厳しさの反面、ユーモラスでもある。

世界中の報道写真を見ることと、今自分が立っている道路についているシミがなぜついたか、を見つめることは彼にとっては同義だ。

アールスマンの視点をなぞってみるのは楽しい。おそらく、私たちは、見方や考え方を共有するより、「見ること」自体を共有しているのだという感じがしてくるのだろう。


あなたもここで連載の写真をみてみてはどうか。

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他にも面白い写真がたくさんみられる。


私は金利というものに縁もないが、新聞でこの写真を見たときは驚いた。

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2016年1月29日東京、日銀黒田総裁によるマイナス金利会見。
このどす黒い赤色の中にいる黒田氏、変じゃないだろうか。

これは日銀総裁のマイナス金利会見をオランダの新聞フォルクス・クラント (Volkskrant)が見開きで紹介したわけではなく、フォルクス・クラントに毎週木曜日に連載されているアールスマン・コレクティ(Aarsman collectie=アールスマン・コレクションの意)からの写真だ。
アールスマン・コレクティとは。オランダ人写真家/文筆家であるハンス・アールスマン(Hans Aarsman)が毎週世界中の報道写真から1枚を選び、そこに写っているものを「よく見て」コメントするという連載だ。「よく見る」ためには写真は見開き大でなくてはいけない。
ハンス・アールスマンの初期の活動は、新聞に写真を提供する写真家であったが、今は「写真探偵」として写真を「よく見て」コメントする連載を新聞でやっている(これは人気があり、何冊か本になっている他ライブで全国ツアーなどもやる)ほか、表やグラフという硬そうな素材をユーモラスに使った作品で知られている。ライクスアカデミーのアドヴァイザーでもあったので、私は何度か会った。

以下私の訳で申し訳ないが、この不気味な写真へのアールスマンのコメントを書き出してみたい。

"Mazzel ()


日本銀行総裁、黒田東彦がマイナス金利について説明する。2016129日、東京。写真ユウヤ・シノ/ロイター


世界中の記者会見会場がそうであるように、この会場にも光がある。天井の蛍光灯、窓からの太陽光、撮影用の照明。それらは全くの役立たずではない。会場に光がじゅうぶんにある時、写真家はフラッシュを焚かずに写真を撮れる。少しぐらいフラッシュが焚かれるのは別に悪くはないが、とにかくフラッシュというものはいつでもひどく邪魔なものだ。


どのような光をあてればこんな真っ暗な写真を撮れるだろうか?(じゅうぶん光がある中でも)もったいぶってフラッシュの光をあてれば可能だ。実際、同じ効果はアマチュア用カメラ(コンパクトデジカメ等)でも撮れる。パーティーや祝いの席の写真でよく知られているように、周囲の光が抑えられた場所で写真を撮れば、前景は焦げ付くほどのストロボの光を受け、背景は暗くなる。

これも同じ効果だろう。ただ、フラッシュの光はカメラからではなく別のところから来ている。ケーブルかセンサーでリモコン操作できる強い光源を左側に置いておく。それを焚く。


他の方法もある。カメラを三脚で立て、シャッターを開け、絞りを絞ってほとんど光が入らないようにしておき、誰か隣の同業者がフラッシュを焚くまで待つ、光があるにもかかわらず焚かれるやつだ。


複雑すぎるか?否、このグラフの描かれたボードのように単純なことだ。


ここにx軸、y軸、z軸の三次元で表された座標がある。質、量、マイナス金利、これらにどういうつながりがあるのか?図(グラフィック)でそれを分かるように表示しなくてはいけないのだが、図はない。ここはもっと描き加えられていなくてはいけない。日本銀行の総裁が描くのだろうか?彼は光の中の吸血鬼のように見える。テーブルの上にはマイク、水、小さなレコーダーが見えるのみでフェルトペンは置かれていないようだ。


このボードの後ろに人が座っているのがあなたには見えるだろうか?彼の、ピンストライプ柄の布のジャケットの両腕が突き出ている。この人物が次に図がちゃんと描かれたボードを出してくれるのかもしれないじゃないか。


インターネットで見てみよう。英語圏の報道ではこの座標をつかった記者会見の非常に短い抜粋が見られるが、ここでも図はでてこない。オランダの報道と同じだ。日本語の報道では1時間ほどのこの記者会見の完全版がみられた。この、次に図がちゃんと描かれたボードを出すために控えているはずのピンストライプ人間は、何か数字の描かれたボードを出したのちにすぐまたもとの座標のボードに戻してしまった。


私たちはこれを「偽(にせ)グラフ」、と呼ばなくてはいけないだろう。古い考え方をするなら、経済について何か理解できるのは偉大な学者たちだけで、彼らにとんでもなく高い給料を払わなくてはさじを投げられる。そうではない。経済については誰も何か分かるわけではない。ものごとは相互に複雑に影響しあっており、日銀による介入がうまくいくかどうかは、純粋に運なのだ。"



訳はもう少し改善していこうと思う。

連載の写真はこちらでちゃんとしたものを見たほうが楽しい。

Aarsmancollectie160205

選ばれた写真を見るのはとても面白い。


即興

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ことしのライクスアカデミーのオープンスタジオで、たのしいパフォーマンスを見た。レジデンスアーティストでドラマーでもあるニッケル・ファン・ダウフェンボーデン(Nickel van Duijvenboden)がスタジオの上でドラムを即興演奏し、詩人が詩を朗読というか歌っていた。くつろいだ雰囲気でニッケルはドラムを叩いて楽しそうで、詩人は「you get the wisdom only when you make a decision...(きみは決断したときにだけ知恵を得るんだ・・)」と歌っている。
詩人はマイクについているコードに引っかからないように引っ張りながら歩いている。素敵だ。この「you get the wisdom only when you make a decision」のフレーズは、「let it be」以来の名句に思える。

I saw a nice performance of Nickel van Duijvenboden at Rijksakademie open 2015. He played the improvised drums with a pleasure and the poet sang the poem. In the intimate atmosphere the poet sang, "you get the wisdom only when you make a decision..." (also improvised?). He walks around with paying a little of attention for his microphone's code.
Awesome. That is great wisdom that I've ever heard as far back as "let it be".

未来

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オランダ語の先生が、オランダの作家シモン・カーミヘルト(1913-1987)の文章を、初心者向けに短くして送ってくれた。ちいさな未来の話だった。日本語でもシェアしたかったのでブログに書いた。以下が私の日本語訳だ。

Simon Carmiggelt  "Toekomst"

シモン・カーミヘルト 「未来」

私の6歳の孫が、家に泊まりにきた。決められた時間だけテレビを見て、お風呂ではしゃぎ、ぬれた髪でベッドに入るとこう言った。 「おじいちゃん、おばあちゃん、こっちに来て?」

私たちは行って、ベッドの端に座った。彼はこう聞いた。

「おじいちゃん明日もまたひげを剃る?」

「ああ。」

「もしひげを剃ったら、おじいちゃんは少し小さくなるね。」と彼は言った。「どうして年を取った人はそんなに小さいの?」

「縮むんだ、たしか」

彼は信じられないという様子だ。

「僕が80歳になったとき、おじいちゃんたちは何歳なの?」と聞いた。

「134歳だ、でも人はそんなに年を取ることはできないよ。」

彼もそのことは分かって、数字を少し低く設定し直した。「じゃあ僕が26歳になったら?」

「そうしたら私たちは80歳だ。」

そう答えたとき、私は何だか怖いような気がした。

でも彼は私たちをなぐさめた。「僕は電車の運転手になるよ。だって僕は2つの車両をどうやって連結させるのか知ってるから。」と言った。

「そうしたら、おじいちゃんとおばあちゃんはいつでも一緒に乗ってきていいよ。10セント(15円)で乗っていいよ。駅で、僕のおじいさんですって言えばいいよ、そうしたら乗れるよ。でもそのかわり、なにか僕の好きな食べ物を持ってきてよ。」

「チューインガム?」妻が聞いた。

それが彼の好物だからだ。

「違うよ。僕が26歳になったときに好きな食べ物だよ。僕、何が好きだと思う?」

私たちがすぐに思いつけないでいると、彼は自分で答えた。「青エンドウ豆が好きになるよ。だからそれを持ってきてね。温かい鍋に入れといてね、電車の中で食べるから。」

私たちはそれを約束して、彼におやすみのキスをした。

そして私たちがベッドの横にいると、彼は、なにか勇気を出すといった調子でこう言った。

「もし、おじいちゃんとおばあちゃんが、すごく小さくなっちゃったらね、僕が世話してあげる。僕はもう結婚していて、子どもは一人だけ買うよ。だって子どもはすごく高いからね。おじいちゃんたちには、靴の箱を作ってあげる。住むためのだよ。もしおじいちゃんたちがすごく小さくなったら、そこに住めばいいよ。箱の中にはドアも作るよ、それから空気穴もあけてあげる。休暇のときには車に一緒に乗っていいよ。箱は後ろの席の棚の上の、猫のとなりに置いてあげる。いい考えでしょ?」

「ああ、いいね。」

私たちは明かりを消した。
そしてリビングルームに戻った。2人の人間がひとつの未来と一緒に。

まつ毛

2014年 3月14日

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昨日はアムステルダムの市立ミュージアム(Stedelijk Museum Amsterdam)でのPaulienのオープニングに行った。荘介も一緒につれていった。ポーリーン (Paulien)と話していたら、ポーリーンは荘介のほっぺに落ちたまつげがついているのを見つけた。ポーリーンのパートナーのナーロ (Naro) が、落ちたまつ毛を使うおまじないをおしえてくれた。願い事が叶うんだという。二人は落ちたまつげを見つけた時いつもやっているそうだ。なんか楽しそうだ。

私はこの話が好きでいまでも思い出す。その落ちたまつげという小ささが好きだ。
まつ毛はまるで誰かの願い事の種のようだ。



最近の荘介

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今8ヶ月の荘介は立ちたくて仕方がない。低いところに飽きてしまったみたい。立たせてやらないとなにをしても満足しないけど、立たせてやるとすぐニコニコする。

  
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大心の誕生日に寿司をわけてもらう。かっぱと納豆。生まれて初めての寿司をものすごい勢いで平らげてしまった。好物か。

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荘介は自分のまわりにある絵を見てニコニコする。うちの寝室にはルフトハンザの古い広告の絵がある。人々が飛行機から降りてきている。朝には親より先に起きてそれを見ている。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

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