keepメモより

keepメモより

私は何かを見ながら描かない
私は出来事を描こうとするから見ようがない 準備のしようもない
描かれたものを見てもその出来事はわからないかもしれない
でも何か起きたあとの残骸を描くのとはどこかが違うと思ってそうしている

釣り

2020年9月5日

今日、川沿いを自転車で走った。
釣り人が結構いた。ブラックバスが釣れると聞いたことがある。

昨日は千葉日報の釣り情報ページで赤い魚を釣った人の写真を見た。

釣り人は、細い棒と細い糸でひとりで世界へ直接コンタクトし、直接返事を得る。向こう側に何がいるかわからない。楽しそうだな

私もスタジオで釣りをしたことがあったのを思い出した。何が出てくるか本当にわからない そうやって作っている


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釣竿(垂れた絵の具、ブラシでできた小枝、ヘッドホン、かっこいい紙片、金のフック)、システム手帳 
Fishing rod(dripped paints, twig made by brushes, headphone, nice piece of paper, gold colored hook), personal detachable notebook

mixed media
2006


この作品を、「誰かの忘れ物のようだ」 といったアーティストがいた。それは私の忘れ物だったのかもしれないと最近になって思う。

ドローイング遊び

遊び方:

1枚の紙を3つに折る
始めの人が3つに折った一番上の部分に頭を描く。描いたところが見えないように折りたたんで次の人に渡す。
次の人は真ん中のところに胴体を描く。描いたところが見えないように折りたたんでまた次の人に渡す。
次の人は下のところに足をかく。
全部かけたら開いてみる。

人数:2人以上

Sema(セマ)が、先日出版した本のプロモーションのために日本に来たけれど、新型コロナの影響で外出もままならず暇な私や子供とたくさん遊んで帰っていった。このドローイング遊びは、セマが子供の頃遊んだと言っていたから、オランダのローカルな遊びと思っていたけど、Marijn(マライン)がシュルレアリストがやったExquisite corpseだと言っていた。


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すみもと ゾンビ君と仲間たち
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タタミ、天井、問いを立てる、未来

家に和室調の部屋が一部屋ある。そこの畳に横になってそのまま寝てしまった。15分かそこらして目を開けて起き上がるとき、昔の自分と重なったような気がした。
高校生くらいの頃、ヨガの本を友達にもらって、実家にあった同じような和室調の部屋で試していたらそのまま寝てしまい、目が覚めた時のことだ。同じく畳の上で、同じくどこかひんやりした感じで起きた。
そのとき起きた人物と今起きた人物が同じだなんて不思議だと思った。

何日か後、また同じ部屋にいたら、隣の部屋で夫と息子5歳が何か話しているのが聞こえた。そのままぼんやり机の上に乗っていた映画のチラシをながめたら、そのチラシに大きく「未来」という文字が書いてあった。「未来」の2文字に気づいたとき、私にも未来があることを急に告げられたような気がした。

きっと畳だ。先日畳の上で過去と現在の自分が繋がったような/繋がらなかったような時の感触が、今この畳の上の「未来」という文字とも繋げている。(「未来」は文字だが、数多のプロセスを経て今私の目の前にある。)

畳というタイムマシンに乗ったようだと思っていたら数日後、姉からメールがきた。姉は先日ここに遊びに来た時に息子と、この部屋の天井について話をした。この天井が、実家(息子にとってはおばあちゃんの家)にある和室調の部屋の天井と似ていると言ったそうだ。天井にあるどのシミとどの木目が似ているかまで話したそうだ。
この家と実家は同じ頃に建った家だ。建てたのは同じ(ような)会社かもしれない。そういうこともあるだろう。

畳のタイムマシンはひょっとしたら、目覚めたときに無意識に見ていた天井が、昔住んでいたの家の天井にそっくりだったことで、昔の目覚め(そのときも無意識に天井を見ていたかもしれない)の記憶とつながったのかもしれない。

その天井は、何枚かの木目プリントの板を並べただけの天井で、板と板の間には溝があった。私は息子のようにその板の木目模様やシミは覚えていなかったが、溝があったことを覚えていた。
その溝をキャンバスに塗ってみた。溝の太さは線とも面とも感じられるような気がした。
それを横断するようにニンジンをかく。今私はニンジンを切っている。


私は問いをたてることで未来というものに能動的にアクセスできるのかもしれない。

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"When I was struggling at the Rijks, I worked hard to figure out something but it was too much focused on 'answers', I should've visualized the 'questions' also. "

by correspondence with Marijn van Kreij, 2009



私のオランダ/ My Holland

私が描いていたものは、ある近さだ。自分は絵に絵の具を置くためにいる、と感じるような絵との近さ。
でもそれはある距離を色に置き換えることで、ある距離とは自分と対象との距離で、その対象とは自分と自分からどのくらいか離れた実際にある物体との距離ではなく、自分と、自分の内的な何かと響きあう外部のもの、それとの距離を慎重に色に置き換えるというようなことだった。

その外部に気づくこと、それとの正確な距離を色に置き換えること、それが発見だった。自分のことでありながら自分だけのことじゃない。発見は最後に来て、そのまま絵のタイトルになり、完成する。そんなものを自分の絵だと感じていた。

オランダに移ってからもいつも何か作っていた。時間とお金はたくさんもらったので、いつも何か作っている他なかったがそれはきつかった。たくさん作ったけれどどれを見せていいかわからなくなった。おもな原因は、言語も含む、深いところでのカルチャーショックだと思う(恥ずかしいが)。自分の親しんできたものの見方や考え方とは異なるやり方がある。初めはそれが刺激的で、それはきっと自分が優位だからで、いつの間にか異なるものが自分のものになっていくとどっちが自分かわからなくなる。身動きが取れなくなり、立ちすくむ、自分が何をするか決めるのに時間がやたらにかかるようになってしまった。
なぜ、あの人らはペインティングを何かの上に描くのをそんなにも当たり前と思うのか。家に家具があるのは当たり前か。自分は何を絵の具に置き換えているのか。
今なら答えはわかる。全部見せたらいいのだ。そうしないと始まりさえしないんだから。

決められない時間が長くなる中、身につけるもののことを考えていた。身につけるものを引き出しから引っ張りだすときにおこっている何か。棚のものをふと手に取るとき。それはファッションというより、暗いところで起こる、自分と世界との交渉ごとだ。
だが、それとの距離感はなかなかつかめない。即興的で、見えるほど離れれば遠すぎ、身につけていると近すぎて見えない。見る前に引く、というようなことだ。ドローイングを描くみたいに。

なぜドローイングをもとにペインティングを描かないの?とはなんども聞かれたけど、あれは生活から剥がれる角質のようなもので、断片のままでいいと思っていた。以前は、絵を描く前に作っていた立体をドローイングと呼んでいて、それを作ると平面で何をしたらいいかわかったからそう呼んでいた。ここでいう「ドローイング」は絵の後にくる感じのものだった。

11年暮らしたオランダを離れ、また日本に暮らしはじめた。オランダの暮らしはとても好きだったが、おかしいことに、オランダが恋しいかどうか、友人から聞かれるまで考えもしなかった。
でもあるとき、自分が日本でオランダの空気に包まれていると感じた。ひどく冷え込んできたときや、雨が降り続いたとき。
冷えた空気を自分の体が知っている。雨の降る日のことを体が知っている。そのことを皮膚が思い出すと周りの空気がオランダの空気になって私を包む。そのとき私はオランダを「身につけて」いると感じた。それが目に見えなくても。

友人への返事にオランダが恋しい、と書いた。本当に恋しくなるのはこれからなのかもしれない。

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そうちゃんの落書き

取手の猫 

取手のアトリエに行く途中に猫が2匹いた。猫屋敷でゴミ屋敷で知られていた家だ。年初めにそこの主人が急に亡くなり、そのとき中にいた20匹ほどが一斉に野良になってしまい凄い様子であったという。たくさんいた猫たちは交通事故や飢えなどで死んでいったと聞く。助けを求めてやれる人はいなかったんだろうかと今も思う。私が見た時は2匹だけが、近所の人に餌をもらいながら屋敷の庭で野良暮らしをしていた。クロとシロと呼ばれていた。


飼い主がおらず家もないのが哀れだったが、仲良しの2ひきを可愛がる通行人も多かった。嫌がらせをする人もいた。いまここの主はこいつらなのだと立派に見えるときもあった。やがてクロは病気になりご飯が食べられなくなり、いなくなった。残ったシロはしばらく一人で頑張っていた。私も通るたびにご飯をあげたり草を刈ったり、餌場が壊されれば直し、寒くなれば冬越え用の小屋を作り、たまに現れる屋敷の関係者と交渉しながらやっていた。
2回目の冬を越したころ突然、土地が売却され家の取り壊しを告げる立て札が立てられた。「猫に餌をあげないでください」と大きく書かれていた。えさ場や小屋も無くなっていた。

悲しいよりも頭にきて立て札を引っこ抜き投げ捨ててシロを捕まえ家に連れて帰った。

よかったのかどうかは今もわからない。先住猫のサフとはクロとのように仲良しではないが、ケンカしながらうちにいてくれてる。



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Karasu-uri, cats and me

カラスウリと猫と私 2017




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シロとサフ



たぶん友情について

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ニッケル・ファン・ダウフェンボーデン (Nickel van Duijvenboden)ドラムのパフォーマンスをライクスアカデミーオープン2015 (Rijksakademie Open 2015)で見たあとで私は廊下で友達と話していた。話していた友達は皆アーティストだが、そのときはアルバイトでやっている美術学校の先生の仕事に関する立ち話をしていた。

わたしは聞き耳を立て、手にオープンスタジオのカタログを丸めて握りしめている。彼らが何を話しているのか一所懸命聞いて、何か言おうとしているが、私はアーティストが好きで、彼らの話す言葉にとても関心があるのだ。
アーティストの言葉は不確かなものかもしれないし、勘違いもある。でも言葉は言葉で前後の関係はあまり関係ないかもしれない。話の中でピンポイントで言葉を渡し、受け取る。受け取った言葉については、そのあと長い時間考えることになる。少なくとも私はそうだ。

自分とは違うものがあることに感動があってやめられないのだろう。不確かだったり勘違いでも考えた時間は私のものだ。

即興

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ことしのライクスアカデミーのオープンスタジオでパフォーマンスを見た。レジデンスアーティストでドラマーでもあるニッケル・ファン・ダウフェンボーデン(Nickel van Duijvenboden)がスタジオの上でドラムを即興演奏し、別のレジデントアーティストのGeoが歌っていた。くつろいだ雰囲気でニッケルはドラムを叩いて楽しそうで、Geoは「you get the wisdom only when you make a decision...(きみは決断したときにだけ知恵を得る・・)」と歌っている。Geoはマイクのコードが引っかからないように引っ張りながら歩いている。

未来

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オランダ語の先生が、オランダの作家シモン・カーミヘルト(1913-1987)の文章を、初心者向けに短くして送ってくれた。ちいさな未来の話だった。日本語でもシェアしたかったのでブログに書いた。以下が私の日本語訳だ。

Simon Carmiggelt  "Toekomst"

シモン・カーミヘルト 「未来」

私の6歳の孫が、家に泊まりにきた。決められた時間だけテレビを見て、お風呂ではしゃぎ、ぬれた髪でベッドに入るとこう言った。 「おじいちゃん、おばあちゃん、こっちに来て?」

私たちは行って、ベッドの端に座った。彼はこう聞いた。

「おじいちゃん明日もまたひげを剃る?」

「ああ。」

「もしひげを剃ったら、おじいちゃんは少し小さくなるね。」と彼は言った。「どうして年を取った人はそんなに小さいの?」

「縮むんだ、たしか」

彼は信じられないという様子だ。

「僕が80歳になったとき、おじいちゃんたちは何歳なの?」と聞いた。

「134歳だ、でも人はそんなに年を取ることはできないよ。」

彼もそのことは分かって、数字を少し低く設定し直した。「じゃあ僕が26歳になったら?」

「そうしたら私たちは80歳だ。」

そう答えたとき、私は何だか怖いような気がした。

でも彼は私たちをなぐさめた。「僕は電車の運転手になるよ。だって僕は2つの車両をどうやって連結させるのか知ってるから。」と言った。

「そうしたら、おじいちゃんとおばあちゃんはいつでも一緒に乗ってきていいよ。10セント(15円)で乗っていいよ。駅で、僕のおじいさんですって言えばいいよ、そうしたら乗れるよ。でもそのかわり、なにか僕の好きな食べ物を持ってきてよ。」

「チューインガム?」妻が聞いた。

それが彼の好物だからだ。

「違うよ。僕が26歳になったときに好きな食べ物だよ。僕、何が好きだと思う?」

私たちがすぐに思いつけないでいると、彼は自分で答えた。「青エンドウ豆が好きになるよ。だからそれを持ってきてね。温かい鍋に入れといてね、電車の中で食べるから。」

私たちはそれを約束して、彼におやすみのキスをした。

そして私たちがベッドの横にいると、彼は、なにか勇気を出すといった調子でこう言った。

「もし、おじいちゃんとおばあちゃんが、すごく小さくなっちゃったらね、僕が世話してあげる。僕はもう結婚していて、子どもは一人だけ買うよ。だって子どもはすごく高いからね。おじいちゃんたちには、靴の箱を作ってあげる。住むためのだよ。もしおじいちゃんたちがすごく小さくなったら、そこに住めばいいよ。箱の中にはドアも作るよ、それから空気穴もあけてあげる。休暇のときには車に一緒に乗っていいよ。箱は後ろの席の棚の上の、猫のとなりに置いてあげる。いい考えでしょ?」

「ああ、いいね。」

私たちは明かりを消した。
そしてリビングルームに戻った。2人の人間がひとつの未来と一緒に。

まつ毛

2014年 3月14日

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昨日はアムステルダムの市立ミュージアム(Stedelijk Museum Amsterdam)でのPaulienのオープニングに行った。荘介も一緒につれていった。ポーリーン (Paulien)と話していたら、ポーリーンは荘介のほっぺに落ちたまつげがついているのを見つけた。ポーリーンのパートナーのナーロ (Naro) が、落ちたまつ毛を使うおまじないをおしえてくれた。願い事が叶うんだという。二人は落ちたまつげを見つけた時いつもやっているそうだ。なんか楽しそうだ。

私はこの話が好きでいまでも思い出す。その落ちたまつげという小ささが好きだ。
まつ毛はまるで誰かの願い事の種のようだ。



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