2016年2月アーカイブ

X-Bankの記事

sema_03.jpg今週のアールスマン・コレクティも書こうと思っていたがやめて、コラムに友達の作品の写真が載っていたのでそれを読んでみる。私も好きな作品だからだ。
靴の中でなにか化学反応をさせて、足(発泡スチロールのようなもの)が膨らみながらにょきにょき延びてくるというビデオワークだ。
コラムは今週土曜にアムステルダムにオープンした「X- Bank」というギャラリー兼ショップ、の紹介である。なんでも180人ものオランダ人デザイナー/クリエイター/アーティストの作品を集めて売っているらしい。

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 理由はご想像にお任せするが、私は最近になって片付けの教祖の近藤麻理恵の本をもらった。彼女によると、私は、私を喜ばせるもの以外は全てを捨てなくてはいけないということだった。それで私はすぐに彼女の本をゴミ箱に捨てた。簡単なことだ。

 私がエクス・バンク(X-Bank)に足を踏み入れた時、直ちにこう思った。「近藤麻理恵はここで脳卒中を起こさないだろうか?」 エクス・バンクはアムステルダムの中心に位置する、新しいW・ホテル(W Hotel)のところにある、店とアート・ギャラリーが一緒になった場所である。そこは土曜日からオープンするのだが、ごった返すに決まっているので水曜日にプレビューが設けられた。

 そんなにすぐに私はものごとに打ちのめされたりはしないが、ここでは私はめまいがした。ちょっと見ただけでも、バス・コスタース(Bas Kosters)の、ペニスが全面にプリントされたシルクのスカーフに、「アニセッテ」とラベルに書かれたリキュールのボトル、アノウク・クラウトホフ(Anouk Kruithof)の美しい写真、アップル・シロップの缶、画集、ジーンズ、つまりなんでもあるのだ。

 この場所を運営しているニコレッテ・メイヤー(Nicolette Meijer)は、めまいに悩まされていないようだ。彼女は私に概要として提供しなくてはいけない数字の話をし、私はそれをメモに書き付けた。180人のオランダ人デザイナー、クリエイターがここ700㎡のスペースで作品を見せているということだった。夜間には窓にビデオワークがプロジェクションされ、それは88メートルの長さになる。アート・ギャラリーは300㎡。ああ、そうそう。ここには芸術家のための「レジデンシー」もできるそうで、それは80㎡。この店にも秩序や方針というものがあり、それは「商品は色ごとに置かれる」のだそうだ。あのペニス・スカーフとアニセット・リキュールは両方ともピンク色だった。そうか。

 私はギャラリー・スペースを調査するためにらせん階段をおりた。私の目を少し休めてくれる何かを期待したが、それもかなわなかった。流行の服をまとった子ども達が床にモップがけをするように転がっている。それらをジグザクによけて私はハイス・ストルク(Gijs Stork)によるキュレーションの展示「ポトラック(Potluck)」までたどり着いた。「ポトラック」という語について説明しておくと、マリファナのまわし吸いのことではなく、夕食のために皆が一品ずつ持ち寄ることらしい。それもまた旨いが。

 ここに集められたアーティストは、アムステルダムのギャラリーと関わりのあるアーティストたち、ナサン・アズデリアン(Nathan Azhderian)、セマ・ベキロヴィック(Sema Bekirovic)、ナタニエル・メロース(Nathaniel Mellors)、ナヴィッド・ヌール(Navid Nuur)、ミケ・プラット(Mike Pratt)にアンネ・デ・フリース(Anne de Vries)である。

 簡単ではなかったが、それはモップ隊がつま先に転がっていたからでもあるが、以前は気づかなかった関係性を見ることができた。それを確かに感じたのは不条理なビデオアートで知られるメロースの作品をみたときと、錬金術の美しさで知られるヌールの作品をみた時だ!

 それから私はしばらくの間、ベキロヴィックの素晴らしくも奇妙なビデオ作品を眺めた。1足の靴から何らかの化学反応で2本の足が伸びてきているようだ。この作品も売っていて、あなたを幸せにするかもしれないのだ。そしてあなたは近藤麻理恵からの恵みを受けるのだ。私からのも。

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アメリカ大統領候補バーニー・サンダースと妻ジェーンの昼食風景、をオランダの新聞フォルクスクラント(Volkskrant)が見開きで報じたのではなく、これもアールスマン・コレクティからの写真だ。アールスマン・コレクティとは何か?前回の投稿に説明がある。
格差是正を掲げる大統領候補の飾らない食事風景、良い雰囲気の写真だと思い読んでみたら、アールスマンのコメントはテーブル・マナーについての思い出、だった。
彼はそもそも写真の価値は美的なクオリティよりもその背後にあるストーリーにあると考える。それを「見る」のだ。
以下は私が書き出したアールスマンのコメントの日本語訳だ。
 

"Corrigerende Tap(正すために軽く叩く)


大統領候補者バーニー・サンダースとその妻ジャンスが、キース・カフェで昼食をとっている。ミネソタ州セント・ポール、2016212日、写真ジム・ヤング/ロイター


私の父がテーブルの上座につき、そのすぐ右に私は座る。私が粗相をするたびすぐにテーブルの下に私の左腕が戻される。バーニーがやっているように、私は左腕を皿の横に置くからだ。あれは本当に食べやすい。あなたはただ頭を下げて食事を腹一杯になるまで口の中へ運べば良いのだから。


皿は美味しくすぐに空になる。でも私は今までそのようにしてこなかった。私は一口でも食べる前から左腕上部をぴしゃりと叩かれていたのだ。それは本当に殴るのではなく、アンダーアンカー、調整だ。それは助けになった。私は今でも左腕をどこか適当でないところに置けば、腕が即座にちくりと痛みだすのだ。


私の家がテーブル・マナーにひどく熱中していたのたかと言えばそうではない。私が皿をなめた時、それは明らかに料理がおいしかったということになるので母は小言を言う代わりにくすくす笑い、父は躾のために少し小突くだけだった。あなたの息子が皿をなめた時あなたはどこを叩くべきか?腕を叩くのはやめよう、歯が折れてしまうかもしれない。私の両親は、ガラスの皿を使うことでその解決策とした。しかしそのことで、私が皆に舌を見られるのを恥ずかしいと思ったか?逆である。ガラス越しに舌でなめてみせるのは余計に面白い。姉たちもとても嫌がりながら母と一緒に笑っていた。


そして私は今でもバーニー・サンダースがやっているような皿の上に覆いかぶさるマナーはできると思わない。

私はテーブル・マナーの専門家ではない。これは、自由なテーブル・マナーを持つものへの私の嫉妬だろうか?そうだったとしても、私はアメリカ大統領候補ではないが、バーニー・サンダースはそうなのだ。


この男が後にイギリス女王と食事をすることになったとき、どのようにしなければならないか?彼はコートを着たままだ。これはかなり非社交的だ。風邪を引いているからか、そうではないだろう。一般的に言って女性は男性より寒がりなことが多いが、サンダース夫人はジャケットを脱いでいる。コート掛けに掛けているのではなくソファで彼女の後ろでつぶされている。「あなたのより良きことを考えなさい。」何度私は両親にそう言われたことだろう。サンダース夫人は言わない。バーニーは良い連れ添いを持っている。彼女も手を皿の横に置いている。でも頭を皿に覆い被せていないのは、チリスープ、キース・カフェの名物料理、のせいだ。それは彼女の夫よりは早くなく口の中に運ばれるだろう。

でも彼にまだ追いつけるだろう。彼はこれからクラッカーを2つ食べるが、彼女は1つだから。"


どうだろうか。この記事だけではなく、彼の少年時代を語るときの語り口はいつも印象的だ。

成長に伴って必ずおこる失望を、きちんと見つめることによって語られるのは「今を正しく見つめること」だ。その、失望をきちんとみる姿はその厳しさの反面、ユーモラスでもある。

世界中の報道写真を見ることと、今自分が立っている道路についているシミがなぜついたか、を見つめることは彼にとっては同義だ。

アールスマンの視点をなぞってみるのは楽しい。おそらく、私たちは、見方や考え方を共有するより、「見ること」自体を共有しているのだという感じがしてくるのだろう。


あなたもここで連載の写真をみてみてはどうか。

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他にも面白い写真がたくさんみられる。


私は金利というものに縁もないが、新聞でこの写真を見たときは驚いた。

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2016年1月29日東京、日銀黒田総裁によるマイナス金利会見。
このどす黒い赤色の中にいる黒田氏、変じゃないだろうか。

これは日銀総裁のマイナス金利会見をオランダの新聞フォルクス・クラント (Volkskrant)が見開きで紹介したわけではなく、フォルクス・クラントに毎週木曜日に連載されているアールスマン・コレクティ(Aarsman collectie=アールスマン・コレクションの意)からの写真だ。
アールスマン・コレクティとは。オランダ人写真家/文筆家であるハンス・アールスマン(Hans Aarsman)が毎週世界中の報道写真から1枚を選び、そこに写っているものを「よく見て」コメントするという連載だ。「よく見る」ためには写真は見開き大でなくてはいけない。
ハンス・アールスマンの初期の活動は、新聞に写真を提供する写真家であったが、今は「写真探偵」として写真を「よく見て」コメントする連載を新聞でやっている(これは人気があり、何冊か本になっている他ライブで全国ツアーなどもやる)ほか、表やグラフという硬そうな素材をユーモラスに使った作品で知られている。ライクスアカデミーのアドヴァイザーでもあったので、私は何度か会った。

以下私の訳で申し訳ないが、この不気味な写真へのアールスマンのコメントを書き出してみたい。

"Mazzel ()


日本銀行総裁、黒田東彦がマイナス金利について説明する。2016129日、東京。写真ユウヤ・シノ/ロイター


世界中の記者会見会場がそうであるように、この会場にも光がある。天井の蛍光灯、窓からの太陽光、撮影用の照明。それらは全くの役立たずではない。会場に光がじゅうぶんにある時、写真家はフラッシュを焚かずに写真を撮れる。少しぐらいフラッシュが焚かれるのは別に悪くはないが、とにかくフラッシュというものはいつでもひどく邪魔なものだ。


どのような光をあてればこんな真っ暗な写真を撮れるだろうか?(じゅうぶん光がある中でも)もったいぶってフラッシュの光をあてれば可能だ。実際、同じ効果はアマチュア用カメラ(コンパクトデジカメ等)でも撮れる。パーティーや祝いの席の写真でよく知られているように、周囲の光が抑えられた場所で写真を撮れば、前景は焦げ付くほどのストロボの光を受け、背景は暗くなる。

これも同じ効果だろう。ただ、フラッシュの光はカメラからではなく別のところから来ている。ケーブルかセンサーでリモコン操作できる強い光源を左側に置いておく。それを焚く。


他の方法もある。カメラを三脚で立て、シャッターを開け、絞りを絞ってほとんど光が入らないようにしておき、誰か隣の同業者がフラッシュを焚くまで待つ、光があるにもかかわらず焚かれるやつだ。


複雑すぎるか?否、このグラフの描かれたボードのように単純なことだ。


ここにx軸、y軸、z軸の三次元で表された座標がある。質、量、マイナス金利、これらにどういうつながりがあるのか?図(グラフィック)でそれを分かるように表示しなくてはいけないのだが、図はない。ここはもっと描き加えられていなくてはいけない。日本銀行の総裁が描くのだろうか?彼は光の中の吸血鬼のように見える。テーブルの上にはマイク、水、小さなレコーダーが見えるのみでフェルトペンは置かれていないようだ。


このボードの後ろに人が座っているのがあなたには見えるだろうか?彼の、ピンストライプ柄の布のジャケットの両腕が突き出ている。この人物が次に図がちゃんと描かれたボードを出してくれるのかもしれないじゃないか。


インターネットで見てみよう。英語圏の報道ではこの座標をつかった記者会見の非常に短い抜粋が見られるが、ここでも図はでてこない。オランダの報道と同じだ。日本語の報道では1時間ほどのこの記者会見の完全版がみられた。この、次に図がちゃんと描かれたボードを出すために控えているはずのピンストライプ人間は、何か数字の描かれたボードを出したのちにすぐまたもとの座標のボードに戻してしまった。


私たちはこれを「偽(にせ)グラフ」、と呼ばなくてはいけないだろう。古い考え方をするなら、経済について何か理解できるのは偉大な学者たちだけで、彼らにとんでもなく高い給料を払わなくてはさじを投げられる。そうではない。経済については誰も何か分かるわけではない。ものごとは相互に複雑に影響しあっており、日銀による介入がうまくいくかどうかは、純粋に運なのだ。"



訳はもう少し改善していこうと思う。

連載の写真はこちらでちゃんとしたものを見たほうが楽しい。

Aarsmancollectie160205

選ばれた写真を見るのはとても面白い。


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